2016年3月1日火曜日

志をもって生きる

は塩のように溶けやすい。

男子の生涯の苦渋というものは
そのの高さを
いかにまもりぬくかというところにあり、
それをまもりぬく工夫は格別なものではなく、
日常茶飯の自己規律にある、という。

箸の上げ下ろしにも自分の仕方がなければならぬ。

斧の言い方、人との付き合い方、
息の吸い方、息の吐き方、
酒の飲み方、あそび方、ふざけ方、
全てがそのをまもるための工夫によって
つらぬかれておらねばならぬ。


              司馬遼太郎「峠」より



自分たちが生きる現在の基本は自由。


各個人に他人の自由を奪わない限りで
自由が許されています。



また、経済的にも豊かになり、
堕落した生活をしていても
明日も生きていける人がほとんど。



自然と行動は自由に
ゆるいものになり、
行動もゆるくなってきているようです。



志なんて死語のような古めかしい扱い。
しかし、上の侍の写真の様に
昔の男は志をもって生きていたからこそ、
その表情から凛としたものを感じずにはいられません。



志があるからこそ、
所作から表情まですべてが
志というもので強く結ばれている。



自分も侍の様に強い志をもって生きようと
決意を新たにさせてくれる名言でした。



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