志は塩のように溶けやすい。
男子の生涯の苦渋というものは
その志の高さを
いかにまもりぬくかというところにあり、
それをまもりぬく工夫は格別なものではなく、
日常茶飯の自己規律にある、という。
箸の上げ下ろしにも自分の仕方がなければならぬ。
斧の言い方、人との付き合い方、
息の吸い方、息の吐き方、
酒の飲み方、あそび方、ふざけ方、
全てがその志をまもるための工夫によって
つらぬかれておらねばならぬ。
司馬遼太郎「峠」より
自分たちが生きる現在の基本は自由。
各個人に他人の自由を奪わない限りで
自由が許されています。
また、経済的にも豊かになり、
堕落した生活をしていても
明日も生きていける人がほとんど。
自然と行動は自由に
ゆるいものになり、
行動もゆるくなってきているようです。
志なんて死語のような古めかしい扱い。
しかし、上の侍の写真の様に
昔の男は志をもって生きていたからこそ、
その表情から凛としたものを感じずにはいられません。
志があるからこそ、
所作から表情まですべてが
志というもので強く結ばれている。
自分も侍の様に強い志をもって生きようと
決意を新たにさせてくれる名言でした。
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